金子やすゆき市議(当時)の札幌市議会での釈明

2014年9月22日 札幌市議会

このたびは、私の発言で札幌市民の皆様、国民の皆様に大変お騒がせしておりますことを、まず、おわびを申し上げます。
きょう、二つの決議案をいただきましたことを大変重く受けとめるとともに、このような発言の機会をいただきましたことに、議員の皆様にも改めて御礼を申し上げるところでございます。
これより、私の発言の趣旨などにつきましてご説明をさせていただきたいと思います。
さて、まず、議場においでの皆様にお尋ねをいたしますが、ツイッターという言葉をご存じでも、実際にアカウントを持ってツイッターで発言をしたことがある方、どれくらいいらっしゃるでしょうか。私のツイッターでの発言を実際にパソコン、スマートフォンなどでごらんになった方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。私の発言の謎を解く一つの鍵はツイッターのシステムであります。
アイヌ民族なんてもういない、このツイートは、私をフォローしてくれるフォロワーさん、つまり、政治的に言えば支持者との個人的なやりとり、いわば1対1の私信であります。このツイートは、広く世界に向けて発信したものではなく、支持者との個人的なやりとりにすぎません。ここを一部のマスコミがわざわざのぞき込んでけしからんと騒いでおられるのが実態であり、議員と支持者との個人的なやりとりにこっそり耳をそばだて、差別だと騒ぎ立て、さらに謝罪、撤回を求めるとは、いわば言いがかりに近いものだと私は考えております。
その上で、アイヌ民族はいないというツイートの真意をこれからご説明いたします。
まず、ここにお集まりの皆様は何民族でいらっしゃいますでしょうか。私自身は、何民族という意識は持っておりません。一人の日本人という意識を持っております。北海道にアイヌの血を引く人々が大勢暮らしていることは、私も当然承知をしておりますけれども、アイヌの人々も同じように日本人として暮らしているはずです。民族を枕言葉にして続くのは対立や紛争という言葉であります。言語や宗教、文化や生活習慣、歴史が異なるため、同化しない集団が民族としてグループ化し、それぞれの権益を争い合う、それが民族であります。我が国の中で、アイヌの人々が独自の文化・経済圏を築いて民族紛争を繰り広げているということがあるでしょうか。近隣諸国のような民族紛争や少数民族の差別、弾圧、抑圧などが存在しないことは、我が国の誇りであります。
私のツイートは、アイヌ民族を称した不透明な補助制度に問題提起をするものでありまして、アイヌの方々の歴史や文化を否定したり、あるいはその尊厳をおとしめたりするものではございません。道内のそれぞれの地域で誇りを持ってみずからの文化を大切に育んでおられる、こういうアイヌの方々に心より敬意を表するものであります。
アイヌの方々は、明治時代より、同じ帝国臣民として政府の手厚い保護を受けながら歴史を重ね、今日に至っています。独自の言語や文化・経済圏を持って民族の権利を殊さら主張するようなアイヌ民族は、現代の日本には存在しないのであります。
実際に、アイヌ出身の故知里真志保北大教授が、今から半世紀ほど前に平凡社の世界大百科事典にこう書いておられます。民族としてのアイヌは既に滅びたと言ってよく、厳密に言うならば、彼らはもはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべき者であると。つまり、これは、決して私一人の特異な意見ではなく、学術的定説であると思います。今は、戸籍謄本にアイヌとの記載はございませんし、就職、進学の差別もなく、誰もが日本人として自由にひとしく平等に暮らしている現代こそが、知里先生の考える理想社会だったのではないでしょうか。
次に、平成20年6月6日の国会決議をないがしろにしたということで、二つの決議案が私を非難していることに反論します。
国会決議の直前まで、政府の方針は、アイヌの人々は国連宣言に言う先住民族ではないというものでした。なぜならば、そのような根拠が歴史的にないからであります。アイヌ文化期は13世紀ごろからと言われておりますけれども、札幌では旧石器時代から人が住んでいたことが明らかになっております。この人々は、もちろんアイヌではありません。日本書紀によりますと、7世紀、斉明天皇4年の時代には、既に朝廷が北海道の蝦夷から樺太の粛慎を平定し、後志地方に郡司を置いて支配していたとの記録があります。北海道内の史跡として、意冨比神社に平安時代の鰐口が残っておりますし、函館の船魂神社は1135年、知内町の雷公神社は1244年に創建されたものであり、これらの地ではアイヌの人々より先に和人が住んでいたことを示す証拠であります。
平成20年の国会決議は、衆参両院とも何の質疑も行われないまま、一瞬で簡易採決が行われ、これまでの政府の方針を一日で大転換するものでした。決議案の中身を聞いていなかったという国会議員が実際におられます。アイヌ民族に関する定義がないまま、そして、アイヌの人々が本当に先住民族なのか、国民の中でも大きな疑問があるにもかかわらず、かくも重要な問題が自民党から共産党までそろって全会一致で仲よく可決されること自体に私は疑問を感じます。
百歩譲って、仮にその決議の内容が正しかったとして、時代の変遷や世論の変化に合わせて後世の国民が修正を加えるのは当然のことでありまして、決して国会決議が絶対の金科玉条となるべきではありません。国会決議に異を唱えただけで糾弾され、議員辞職を求められるのであれば、これはまさに恐怖政治であり、憲法が定める言論の自由はどこへ行ってしまったのでしょうか。言論の自由は人類が苦難の歴史の中で獲得してきた基本的人権であり、特に日本共産党さんは最もその苦しみをご存じだったのではないでしょうか。
国会決議が平成20年に可決をされた後、旭川アイヌ協議会は、過去の植民地支配というものを持ち出して、天皇陛下に謝罪と、政府に対して5兆円の賠償を求める要求書を国に提出しています。もちろん、我が国政府がアイヌの人々に植民地支配を行った事実はありませんし、アイヌ先住民族論はまさに歴史の歪曲にほかなりません。
決議案第1号では、アイヌ民族のこれまでの苦難の歴史や権利回復を求める闘いを全否定する差別発言だと決めつけておりますけれども、私たちの先達がアイヌの人々を苦しめてきたとの考えは全く誤った歴史認識であります。むしろ、明治政府は、北方ロシアからの脅威が迫る中、アイヌの人々に農業を奨励し、文化的な教育、医療を施し、同じ帝国臣民として常に温かい支援の手を差し伸べてきたのであります。
アイヌ先住民族化を求める平成20年の国会決議は、河野談話や南京大虐殺などと同様に、日本国民の歴史と先達の名誉を不当におとしめる原因にもなっており、いずれも歴史的史実に基づいた検証が必要だと私は考えます。朝日新聞社による従軍慰安婦捏造問題も、34年もの歳月を経てようやく歴史が修正されたことは皆様ご承知のとおりであり、政治はたゆまぬ歴史の検証を恐れるべきではありません。
そもそも、平成19年の国際連合宣言が定める先住民族とは、独自の文化、伝統を有しながらも、侵略者により土地を奪われ、集団虐殺で民族の崩壊に至った人々、あるいは、基本的人権を剥奪され、植民地化された人々などを意味するのでありまして、国連宣言が定める先住民族と我が国のアイヌの人々は全く異なるものであります。具体例を挙げれば、国連宣言の先住民族とは、中南米のインディオであるとかオーストラリアのアボリジニ、中国のウイグルの人々、チベットの人々などを指すのであって、我が国におけるアイヌの方々はこの定義には当てはまらないわけであります。
もし仮にアイヌが国連宣言の先住民族と認められるならば、アイヌ民族の自決権や領土の割譲のほか、アイヌ文化保護のためにアイヌ語による学校教育やアイヌ語による国営放送、アイヌ独自の司法制度など、常識では考えがたい要求を国際法に沿って我が国が受け入れることにつながりかねません。かような国連宣言は、我が国の内政に不当に干渉するものであり、我が国の安寧と秩序を守る立場からも誤りであると考えます。
実際に、かつて、北海道アイヌ協会札幌支部がアイヌの自主憲法制定や軍隊、警察、裁判所の設立などを議論していたことが判明しています。一国二制度につながる極めて反社会的思想を持つ団体に、札幌市や北海道が多額の公的補助を与えることの問題点にも改めて警鐘を鳴らすものであります。
そもそもアイヌの定義とは、北海道アイヌ協会によりますと、アイヌの血を引くと確認された者及びその家族、配偶者、子孫がアイヌであり、養子縁組などでアイヌの家族となった者も含まれるということで、しかも、これは自己申告制であります。つまり、アイヌの血を引かない人でも、家族になればアイヌになって政策的優遇が得られることにそもそもの問題があります。実際に、道内で暮らす1万人を超えるアイヌの方々の中で、札幌市や北海道の政策的優遇を享受している人は、ほんの一握りにすぎないわけであります。
差別がない社会を目指しながら、しかし、行政からの優遇を得るためには、みずから差別を演出しなければならない。これは、まさに差別の再生産にほかなりません。全て国民は法のもとに平等であるべきであって、理由なき差別、優遇策にはもはや終止符を打つべきだと思います。
さて、今回、札幌市議会が私に対する議員辞職決議案を出すことにつきまして、私の手元には、札幌市民だけでなく、全国、全世界の皆様から、やめるな、頑張れと、数多くの数え切れないほどの手紙、電話、メールなどをいただいております。数の論理で決議案をまとめ、たとえ私が辞職させられたとしても、それで私が述べた真理が消えるわけではありません。私の考えを支持する国民の考えが消えるわけでもありません。我が国には、言論の自由や思想、信条の自由が保障されております。
8月16日にこの問題が初めて毎日新聞社で報道されてから1カ月がたちますけれども、この間、アイヌ民族は本当にいるのか、本当に先住民族なのかという根本的な議論に臨んできた方は、残念ながら、まだ一人もいないのが現実であります。良識ある言論の府として、市議会が数の力で一つの意見を封殺しようとするのは自殺行為だと私には思えます。一方通行の決議案に時間を費やすのではなく、ぜひ双方向で私の議論に答えていただきたいと思います。私の弁論を手続上聞いた後、ただ機械的に決議案を採決して終わりではなく、今の施策が本当にアイヌの人々のためになっているのか、このことをぜひ多くの皆様にも考えていただきたいと思います。
このことを最後に申し上げて、私の発言を終わります。どうもありがとうございました。

広告