Q22: 金子氏の発言はヘイトスピーチに該当するか?

金子氏の発言

8月16日にこの問題が初めて毎日新聞社で報道されてから1カ月がたちますけれども、この間、アイヌ民族は本当にいるのか、本当に先住民族なのかという根本的な議論に臨んできた方は、残念ながら、まだ一人もいないのが現実であります。良識ある言論の府として、市議会が数の力で一つの意見を封殺しようとするのは自殺行為だと私には思えます。一方通行の決議案に時間を費やすのではなく、ぜひ双方向で私の議論に答えていただきたいと思います。(2014/9/22 札幌市議会)

金子氏に対する辞職勧告(大島薫議員)

制度や事業の運用面で不備や不正と思われる点があれば、それを正していくことは当然のことと言えますが、利権、特権と断ずる根拠は何も示されていません。ましてや、「私も選挙に落ちたら〇〇〇になろうかな」との書き込みは、差別意識がそのままあらわされているものです。差別の再生産をやめようと言いながら、アイヌ民族に対する憎悪や差別を扇動しているのは金子議員自身であります。

以上、金子議員がアイヌ民族なんてもういないとするさまざまな説明に対して、その誤りを指摘してまいりました。滅び行く民族とされる苦難の歴史を強いてきたのは、ほかでもない私たちが住む日本という国家です。そして、アイヌ民族であることを隠して生きなければならない社会が今も存在します。

国連人種差別撤廃委員会は、8月末、日本の人権状況の悪化に強い懸念を示し、日本政府に対して、国連人種差別撤廃条約に依拠して民族差別禁止のための包括的な立法措置をとることを強く求めています。また、国連人権委員会からは、アイヌ文化振興法を見直し、アイヌ民族の政策立案や土地などに関する権利を保障すべきとの勧告が出されている国際社会の現実に、私たちは誠実に向き合う必要があります。

もとより、議会及び議員は、言論の自由のもと、さまざまな課題について議論、発言することにより、市民の負託に応えることが期待されています。しかし、何を言っても自由であり、許されるということではありません。誤りを認めずに、自分に都合のいい断片的事実や根拠のない言説をつなぎ合わせて自説に固執する態度をとり続けることは決して許されないとの姿勢を札幌市議会の決意として示すべきと考えます。(2014/9/22 札幌市議会)

参議院におけるヘイトスピーチ規制法案の審議

○有田芳生君 そういう認識に立ってもらわなければ困ります。
もう一点最後に、時間が来ましたので、アイヌ民族に対するヘイトスピーチです。
二〇一四年からずっと続いております。二〇一四年八月十一日、アイヌ民族、今はもういない、二〇一四年八月二十二日、アイヌ利権がある、二〇一四年の十一月八日には銀座でアイヌをターゲットにしたヘイトスピーチデモが行われました。そういう事態が現実にあるわけですから、これはもうアイヌ民族へのヘイトスピーチについては立法事実があるんですよね。ところが、与党案では外国籍者あるいは外国の出身者が不当な差別的言動の対象になっておりますけれども、アイヌ民族については除外されている。
やはり、人種差別撤廃条約の定義に基づいて民族というものを外してはならないのではないかというのがこのヘイトスピーチ問題の核心的部分だと思いますが、いかがでしょうか。
○西田昌司君 我々側としましては、今目の前で行われてきたこの在日コリアンの方々に対するヘイトスピーチをいかにして食い止めるかという、そこを立法事実としてこの法律を作ってきたわけでございます。
もとよりアイヌの方に対する差別が、またヘイトが許されるものではありません。しかし、そこはこの法律を議論していく中で、いわゆる行政のこの法律の運用面含めて、この国会の議論の中で、アイヌの方々も含めヘイト許されないということは運用面で、運用面と申しましょうか、要するにこれ理念法でございますから、宣言することによって可能ではないかと思っております。附帯決議始め、そこにも当然含まれるんだと、そういう御意見は是非先生方からお寄せいただいて、実りある立法にさせていきたいと思っております。(2016/4/18 参議院法務委員会)

A22:

札幌市議会での辞職勧告では「ヘイトスピーチ」という用語こそ用いられなかったが、「憎悪や差別を煽動」という表現および人種差別撤廃条約に言及したことから、金子氏の発言がヘイトスピーチであるという認識であったことは明らかである。国会でのヘイトスピーチ規制法案の審議の場においては、金子氏の発言はヘイトスピーチの例として挙げられている。

 

 

 

Q21: 金子・小野寺氏の発言にある背景は何か?

金子氏の発言

日本書紀によりますと、7世紀、斉明天皇4年の時代には、既に朝廷が北海道の蝦夷から樺太の粛慎を平定し、後志地方に郡司を置いて支配していたとの記録があります。(2014/9/22 札幌市議会)

小野寺氏の発言

ということは、多分、国連宣言の言う先住民と、我々がアイヌを先住民だとする先住民の意味は違うというふうに私は思っておりますし、ともすれば、アイヌの方々が先に北海道に住んでいて、日本人がそれを奪ったというような間違えた認識が広がっていると感じておりますので、それは違うのだということを、北海道としてもしっかり広報していただきたいと思いますし、それが非常に重要なことだと思っております。 (2011/12/6 北海道議会)

A21:

国粋主義的,あるいは排外的な思想が金子・小野寺両氏の発言と非常に親和性が強く,それを標榜する団体が彼らの発言を支持している。

Q20: 「日本国民」とは?

小野寺氏の発言

先ほど言ったように、北海道に関して、アイヌに断りもなく、一方的に日本にしたというような表記は、本当に問題があると思いますし、日本国民の概念についての表記も、日本国民は多民族である、その中には、アイヌ民族や和人、在日朝鮮・韓国人が含まれるというようなことを書いてありますが、民族の定義もなしに、そのようなことを書いていいのかというふうに、私は非常に疑念を持っておりますが、もし、こういうような間違えた表記があった場合には、道は、どのような責任をとる必要があると考えているのか、お聞かせください。

日本国憲法

第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

外務省『人種差別撤廃条約Q&A』

Q2 アイヌの人々や在日韓国・朝鮮人は、この条約の対象に含まれるのですか。

A2 アイヌの人々については、現在、様々な議論がなされているところですが、独自の宗教及び言語を有し、また、文化の独自性を有していること等より、社会通念上、文化的諸特徴を共有するとされている人々の出身者であると考えられますので、この条約にいう「民族的若しくは種族的出身」の範疇に含まれるといって差し支えないと認識しています。また、この条約は、社会通念上、生物学的若しくは文化的な諸特徴を共有していることに基づく差別を遍く禁止するものであるので、Q4の答で述べるような「国籍」の有無という法的地位に基づく異なる取扱いに当たらない限り、在日韓国・朝鮮人を始めとする我が国に在留する外国人についても、これらの事由に基づく差別が行われる場合には、この条約の対象となります。

A20:

日本国民という用語は日本国籍を持つものという意味で解釈されるとは限らない。とくに人権問題についてそれより広い範囲を指す場合があり,「日本国の住民」という意味で用いられることがある。そのことは,憲法の人権規定および人種差別撤廃条約の効力が日本国内でどこまで及ぶかを考えればわかるだろう。外国籍の住民が基本的人権をもたないと考えるのは明らかに間違いだし,この条約が外国籍の住民に対して効力を持たなければ,そもそも批准する意味が全くないことになる。

Q19: 「副読本」ってどのようなもの?

小野寺氏の発言

アイヌ文化振興財団が、小学校4年生と中学校2年生の全道すべての生徒に副読本を配って、授業を行っているというようなお話をお聞きしておりますが、副読本に書かれている表記には、多くの問題があるというふうに私は思っています。

アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ文化法)

第七条  国土交通大臣及び文部科学大臣は、アイヌ文化の振興等を目的とする一般社団法人又は一般財団法人であって、次条に規定する業務を適正かつ確実に行うことができると認められるものを、その申請により、全国を通じて一に限り、同条に規定する業務を行う者として指定することができる。

財団法人アイヌ文化振興・研究機構のサイトより

アイヌ民族 : 歴史と現在

この本は、アイヌ民族についてみなさんに知ってもらうために作りました。
今の日本の社会科の教科書に書かれていることの、ほとんどは和人の社会や文化についてです。しかし、日本には和人だけがくらしてきたわけではなく、アイヌ民族も昔から日本列島に住んできました。そこで、アイヌ民族の歴史や文化について学んでもらうのが、この本の役目です。

A19:

「副読本」とは,アイヌ文化法に基づいて設立された財団が,北海道の小中学生向けに作成した北海道史(アイヌ史)の副教材を指す。小野寺氏が内容に介入したために,一度作成した副読本が回収され,文章の差し替えが行われることになったが,今度は著者らがそれを問題視し,結局ほぼ修正なしで配布されることとなった。

 

Q18: 明治2年当時,アイヌが北海道を支配していた?

小野寺氏の発言

例えば、「1869年に」──明治2年ですが、「1869年に日本政府は、この島を「北海道」と呼ぶように決め、アイヌの人たちにことわりなく、一方的に日本の一部にしました。」という表記があります。この記述では、明治2年当時、アイヌが北海道を支配していたと認めるような文章になっていて、これは誤解を招く表記ではないかというふうに思いますが、この点について、私は、歴史的事実と認識が食い違うというふうに考えておりますが、部の見解をお聞かせ願います。

北海道庁編『新北海道史』

アイヌは従来請負制度の下にあって、多くの束縛を受けていた。身分においては、最初は蝦夷と呼んで日本人と区別し、化外の民として、雑居を許さず、乙名・小使等の役目を設けて自治を許し、帰化することを許さなかったが、幕府の直轄以来帰俗を許し、帰化した者は村方もしくは帰俗土人として百姓同様の待遇を与えるようになったあとも、民籍は依然日本人である出稼人・永住人とは区別され、諸届類のごときも、役土人といえでおも従属的な地位におかれていた。(第三巻 通説二  p.882)

A18:

幕府の直轄以降もアイヌ民族は「化外の民」すなわち直接の支配を受けなかった(場所請負人がアイヌを使役することは容認されていたが)。北海道は対外的には日本政府が領有することが認められたといえども,実質的にその支配を及ぼすことができるのは明治以降のことになる。

 

 

 

小野寺まさる北海道議(当時)によるアイヌ民族の歴史副読本への介入

北海道議会予算特別委員会 (2011年12月6日)

◆(小野寺秀委員) 本当にそれでいいのですかね。知事が、財団に対しても厳しく指導する、アイヌ協会に対しても厳しく指導すると言ったにもかかわらず、現物がなく、払ったお金を返してもらう努力をしているだけで、本当にいいのか。私は、もしかしたら、これは犯罪かもしれないというふうに思っておりますが、多くの質問がありますので、次に進みます。
次に、アイヌ文化振興財団がつくっている副読本についてお伺いをしてまいります。
アイヌ文化振興財団が、小学校4年生と中学校2年生の全道すべての生徒に副読本を配って、授業を行っているというようなお話をお聞きしておりますが、副読本に書かれている表記には、多くの問題があるというふうに私は思っています。
例えば、「1869年に」──明治2年ですが、「1869年に日本政府は、この島を「北海道」と呼ぶように決め、アイヌの人たちにことわりなく、一方的に日本の一部にしました。」という表記があります。この記述では、明治2年当時、アイヌが北海道を支配していたと認めるような文章になっていて、これは誤解を招く表記ではないかというふうに思いますが、この点について、私は、歴史的事実と認識が食い違うというふうに考えておりますが、部の見解をお聞かせ願います。

○(道下大樹委員長) 環境生活部長山谷吉宏君。

◎(山谷環境生活部長) 副読本の記述内容に関連してでございますが、財団で発行しております小学生向け副読本には、委員が御指摘の点が記述されておりますが、北海道の帰属などにつきましては、平成4年1月の、参議院議員からの質問主意書に対する政府答弁書によりますと、「いわゆる北海道本島は、我が国の固有の領土であって、これが具体的にいつ我が国の領土となったかは明らかではないが、江戸時代末から明治時代初めにかけて、我が国とロシアとの間で国境の確定が行われた際、いわゆる北海道本島については全く問題とならず、これが我が国の領土であることは当然の前提であった。」「いわゆる北海道本島は我が国の固有の領土であり、アイヌの人々は本来日本国民である。」「いわゆる北海道本島において、アイヌの人々が古くから住んでいたということは、文献等からみて通説になっていると承知している。」と記されており、そうした歴史的経緯を踏まえて、今日に至っているものと理解をしております。
以上でございます。

◆(小野寺秀委員) では、この副読本に書いてある「アイヌの人たちにことわりなく、」という表記は必要ないのじゃないでしょうか。何で断りを入れなきゃいけないのだというふうに思いますし、そこら辺のことは、しっかりと精査をしていただきたいというふうに思います。
副読本について質問を続けますが、北方領土の件に関係してお伺いしますけれども、北方領土に関するパンフレットの「北方領土問題を学ぼう」の中に、「北方四島(北方領土)は、いまだかつて一度も外国の領土となったことのない」との記載がありまして、北海道本島も同じであるというふうに私は思います。
平成19年に、国連総会において、アイヌが先住民であるという決議をしておりますが、この採択に当たって、我が国の考え方をしっかりと説明した上で、国連の決議として採択をしたというふうに考えておりますが、アイヌ民族を我が国がどう考えているのかということを御説明願います。

◎(山谷環境生活部長) 北海道の帰属の考え方などについてでございますが、先ほど御答弁を申し上げましたとおり、平成4年1月の、参議院議員からの質問主意書に対する政府答弁書によりますと、「江戸時代末から明治時代初めにかけて、我が国とロシアとの間で国境の確定が行われた際、いわゆる北海道本島については全く問題とならず、これが我が国の領土であることは当然の前提であった。」とされているところでありまして、そうした歴史的経緯を踏まえて、今日に至っているものと理解をしております。
また、先住民族の権利に関する国際連合宣言の採択に際しての政府の考え方についてでございますが、平成21年7月に取りまとめられた、国における、アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会の報告書によりますと、政府の考え方につきまして、我が国政府は、宣言に言う自決権については、宣言が明らかにしているように、先住民族に対して、居住している国から分離、独立する権利を付与するものではないこと、宣言に言う集団的権利については、宣言に記述された権利は個人が共有するものであり、各個人がその有する権利を、同じ権利を持つ他の個人とともに行使することができるとの趣旨であると考えること、さらに、宣言に記述された権利は、他者の権利を害するものであってはならず、財産権については、各国の国内法制による合理的な制約が課されるものであると考えていることなどを説明したとされているところであります。
以上でございます。

◆(小野寺秀委員) ということは、多分、国連宣言の言う先住民と、我々がアイヌを先住民だとする先住民の意味は違うというふうに私は思っておりますし、ともすれば、アイヌの方々が先に北海道に住んでいて、日本人がそれを奪ったというような間違えた認識が広がっていると感じておりますので、それは違うのだということを、北海道としてもしっかり広報していただきたいと思いますし、それが非常に重要なことだと思っております。
次に、副読本の編集委員の選任についてお聞かせ願いたいというふうに思いますが、この副読本は、編集委員会をつくって作成しているわけですけれども、編集委員長がアイヌ協会のある支部の支部長さんで、あとの多くは小学校の先生というメンバーで、この副読本をつくっています。本当に、これで問題がないのか。専門家が余り入っていないのですが、その点についてお聞かせください。

○(道下大樹委員長) アイヌ政策推進室長和田秀樹君。

◎(和田アイヌ政策推進室長) 副読本の編集委員の選任に関連してでございますけれども、財団では、この副読本の作成に当たり、学校教育の場で活用する補助教材として、道内外の小学校、中学校に配付するため、アイヌ文化伝承活動実践者が3名、アイヌの歴史や文化に関する研究者が2名、学校でアイヌに関する授業等に取り組んだ経験のある教員が4名、計9名から成る編集委員会を設置し、数次にわたる検討を行い、それぞれの専門分野ごとに分担執筆をし、相互にチェックするなどして作成するなど、財団において所定の手続を経たものと承知しております。
副読本が義務教育課程において活用されることを財団におきましては十二分に認識して作成されることは、当然のことでありますので、このような視点のもとで、選任手続が進められることが必要ではないかと考えているところでございます。

◆(小野寺秀委員) 財団がつくっているからといって、北海道がその内容を知らないということにはならないと思います。
先ほど言ったように、北海道に関して、アイヌに断りもなく、一方的に日本にしたというような表記は、本当に問題があると思いますし、日本国民の概念についての表記も、日本国民は多民族である、その中には、アイヌ民族や和人、在日朝鮮・韓国人が含まれるというようなことを書いてありますが、民族の定義もなしに、そのようなことを書いていいのかというふうに、私は非常に疑念を持っておりますが、もし、こういうような間違えた表記があった場合には、道は、どのような責任をとる必要があると考えているのか、お聞かせください。

◎(山谷環境生活部長) アイヌに関します小中学生向け副読本の発行にかかわる道の対応などについてでございますが、委員が御指摘の副読本につきまして、その編集等につきましては、先ほど御答弁申し上げましたように、財団で、それぞれ編集委員等を選任し、編集委員会を設置して作成してきているところではあります。
しかしながら、その記述内容や表現などにつきましては、学校教育の場で利用されるという観点から、児童生徒の発達段階に即し、わかりやすく、より適切なものとなるよう、不断に努めていかなければならないものであり、そうした観点に立って、編集の進め方などについて、財団を所管する国と協議し、適切に対処してまいりたいというふうに考えております。
以上でございます。

Q17: 北海道はもともと日本の固有の領土だった?

小野寺氏の発言

つまり、アイヌの先住民決議というものが国会でなされましたが、その雰囲気ですとか、多くの方々が思っているのは、明治になって、北海道――蝦夷という、アイヌが統治していた場所を和人が一方的に奪い取った、それで多くの権利をとったのだというような話になっているやに私は感じておりますが、実際には、北海道はもともと日本の固有の領土だった、そこに住んでいたアイヌの人たちはもともと日本人なのだというのが前提に、国の認識としてあるということをここで確認しました。(2014/11/11)

慶長9年徳川家康黒印状(松前慶広宛)

  定

一 自諸国松前へ出入之者共 志摩守

不相断而 夷仁与直ニ商売仕候儀

可為曲事事

一 志摩守ニ無断而令渡海 売買仕候者

急度可致言上事

付 夷之儀者 何方へ往行候共 可致夷次第事

一 対夷仁非分申懸者堅停止事

右条々若於違背之輩者 可処

厳科者也 依如件

慶長九年正月廿七日 黒印

松前志摩とのへ

参議院議員竹村泰子君提出アイヌ民族と北海道の法的地位に対する政府の歴史的認識に関する質問に対する答弁書 (1992年)

一及び二について

いわゆる北海道本島は、我が国の固有の領土であって、これが具体的にいつ我が国の領土となったかは明らかではないが、江戸時代末から明治時代初めにかけて、我が国とロシアとの間で国境の確定が行われた際、いわゆる北海道本島については全く問題とならず、これが我が国の領土であることは当然の前提であった。

三について

いわゆる北海道本島は我が国の固有の領土であり、アイヌの人々は本来日本国民である。

四について

いわゆる北海道本島において、アイヌの人々が古くから住んでいたということは、文献等からみて通説になっていると承知している。

第131回国会 参議院内閣委員会 (1994年)

○萱野茂君 次の質問に移ります。
蝦夷地を日本の領土とした時期についてであります。
さて、和人が移住し、国家的な侵略と支配が及ぶまでのアイヌモシリは、アイヌによる静かで平和な時代が続いていました。教科書では、アイヌとアイヌ文化、そしてアイヌモシリの崩壊について次のように述べています。それは非常に簡単な記述でありますが、「松前藩は、幕府から蝦夷地の支配が認められると、アイヌをきびしくとりしまり、交易を独占した。そのため、アイヌの生活領域は、しだいにせばめられていったことあります。また、「十七世紀の中ごろ、シャクシャインを中心にアイヌが蜂起すると、松前藩は、シャクシャインを殺害して鎮圧した。」とあります。
要するに、日本政府はアイヌが独自の社会をつくっていたアイヌモシリ、北海道に無断で踏み込み、やがてアノヌモシリを勝手に自国の領土に編入するのでありますが、このようなことは他国に対する侵略行為であり、武力による行為は武力侵略なのでありますが、そのような歴史認識でよいのでしょうか。政府の御見解をお尋ねしておきます。
また、日本が蝦夷地を正式に自国の領土とした日はいつなのか。例えば、寛政十二年の東蝦夷の直轄なのか、安政元年の蝦夷地直轄なのか、それとも明治の時代に至って蝦夷地を北海道と改めたとき、もしくは明治十年の地券発行のときとするのか。そして、このように蝦夷地を日本の領土とするに当たって、そこに先住していたアイヌとは具体的にいかなる協議をし、いかなる約束、いかなる条約を交わしたのか、それとも日本政府は全く先住民族であるアイヌを無視したのか。
これはわずか百年ほど前の話であり、昔話ではありません。日本の近代史にとってとても重要なことでありますからお尋ねをしておきます。歴史的、法的事実についてお教えをいただきたいのであります。
○説明員(鶴岡公二君) ただいまの委員の御質問はいわゆる北海道本島がいつの時点から我が国固有の領土という地位を獲得したかということかと存じます。
これが具体的にいつ我が国の領土となったかということについては明らかではございませんけれども、江戸時代の末期から明治時代初めにかけまして、我が国と当時の帝政ロシアとの間で国境の画定が行われた際には、いわゆる北海道本島につきまして両国間で全く問題となっておりません。その当時も北海道本島が我が国の領土であるということを当然の前提として日ロ間での交渉が行われた経緯がございます。

A17:

歴史的な事実で見ると,徳川幕府は松前藩にアイヌ民族の支配権を許していない。北海道全体に日本の主権が及ぶのは,寛政12年(1800)の幕府による東蝦夷地直轄を起点とし,開拓使の設置(1869),そして,地券条例(1877)によってアイヌの土地を官有地に編入するというプロセスを経ている。一方,政府はこの答弁にあるように「固有の領土」という表現を用いてロシアとの間に領有権が争われなかったことをその根拠としている。

 

Q16: 明治の頭で和人の人口がアイヌ民族より多かったのはなぜ?

小野寺氏の発言

便宜上、和人というふうに言いますが、つまり、その時期で既に、アイヌの方たちよりも圧倒的に和人の人数が多かったというのはどういうことなのだろうかなと。多分、それ以前も多かったのだろうと私は推測するわけであります。(2014/11/11 北海道議会)

小野寺氏の補足ツイート

『幕末蝦夷地の絵図にみる地域情報の把握』

結局,幕府が建網操業を許可した目的は,その担い手である出稼ぎ漁民を保護することにあったと思われる。西蝦夷地への出稼漁は,最初は主に松前地の漁民が中心である。従来は前浜において漁業を行っていた漁民達が,西蝦夷地へ進出していくのは享保4 (1719)年以降である。藩は,享保4年に熊石村以北,セタナイまで出稼漁を許可した。続いて,享保7 (1722) 年にはヲタスツまで,天保11(1840) 年にはハママシケ以北まで許可される。以後,出稼漁は年々活発になっていく。また,松前藩領の漁民だけでなく,東北地方からも増加していく。ただ,あくまで出稼が基本であり,蝦夷地に永住あるいは妻子を伴うことは禁止されていた。

しかし,安政年間には,蝦夷地への出稼人に関する政策に大きな変化が起こる。安政2年,積丹半島の神威岬以北への婦女通行の禁が幕府によって解かれる。安政4年,諸国から箱館・蝦夷地へ出稼をする旅人に入役銭を免除し,安政5年には蝦夷地への出稼人で永住を願う者は,越年役の免除を決定する。このように,幕府は,蝦夷地へ定住する和人を増大させる政策をとり,各場所に和人の定住が増加した。言い換えれば,蝦夷地・和人地という地域区分が解体していく過程ともいえる。(山田、歴史地理学 42-2(198)、pp. 1-21、2000年)

A16:

江戸時代の北海道は松前地と蝦夷地が厳密に分けられ、幕末まで和人が蝦夷地に住むことは禁止されていた。蝦夷地の定住人口はすべてアイヌ民族であると考えてよい。「このデータ」は松前地の和人人口が蝦夷地のアイヌ人口より多かったという事実を反映していただけ。

 

Q15: 和人は1万年以上前から北海道に来ていた?

小野寺氏の発言

その答弁では、14世紀ころにアイヌ文化が形成された、そのころに和人も北海道に進出をしたかのような答弁ですけれども、1万年以上前から、和人と言われる、アイヌじゃない方たちが北海道と本州を行き来していたというのは事実であると思いますが、なぜ、そのような答弁になったのか、私は理解をしかねております。(2014/11/11 北海道議会)

『エゾの歴史』

 この言葉の公的な使用の初めは、寛政一一年(1799)の徳川幕府の東エゾ地直接支配の開始と関係があるようである。東エゾ地直轄の基本方針として幕府は、「夷人共追々御徳化に感じ、御主法に馴れ、和人風俗に相成度由望候者も有之候はば、月代も致させ…(略)…往々和人に変化いたし候様教育可致事」とし、その目的として、「万々一外国より懐け候事抔有之候共、心底不動様存込せ候儀、御趣意第一」(『蝦夷地御用掛松平伊豆守様御口達書』)と明言している。右に言う「外国」とは、ロシア帝国を指す。風俗を和人同様としそれを通じて和人意識を強く持たせることが目標とされている。

したがって、右に言う「和人」は「幕藩体制を構成する人」の意味で用いられており、たんなる「日本人」の言いかえではない。「日本人」という表現は、縄文文化構成者にたいしても使用されることがあるが、この言葉の意味を明確にするのは、エミシがアイヌ民族であるかないかを云々するより、よほど難しい。この言葉の説明に「八世紀段階では、日本語を日用語とし、古墳文化の伝統をうけつぎ、中央政府の統制に服している人」と記すものもある。ようするに、古代人のことであろう。(海保、pp. 130-131)

A15:

和人という用語は、江戸時代以降のアイヌ民族政策に関する文脈で「日本人」を指すために用いられる。しかし,この用語を縄文文化構成者に対して用いている例があるという(文献不詳)。このときには、前者の意味で「日本人」を指すことはない。言葉の多義性を悪用した詭弁。

 

Q14: アイヌの祖先は縄文人ではない?

小野寺氏の発言

まず、その答弁によると、アイヌの祖先は縄文人ではないというのが一般的な最近の学説だと押さえておきますし、蝦夷(えみし)についても、かなり漠然とした概念だというお答えをいただきましたが、その中で、アイヌ民族の先住性についてお答えがいただけなかったので、もう一度お伺いします。(2014/11/11 北海道議会)

『アイヌ民族って本当にいるの?』

 また篠田氏の『縄文人はどこからきたか?』(北の縄文文化を発信する会・編2012)の講義録を紹介します。

「北海道の縄文人を調べるとずいぶん違っています。縄文人にはN9bが非常にたくさんありますが、アイヌの人々に特徴だったYが出てきません」と記しています。つまりアイヌは縄文人の祖先ではないということです。(的場、p. 62)

『縄文人はどこからきたか?』

 ところが北海道の縄文人を調べるとずいぶん違っています。縄文人にはN9bが非常にたくさんありますが、アイヌの人々に特徴だったYが出てきません。50例を調べてゼロなので、あったとしても非常に少ないだろうと予想されます。

実はここ2~3年前に研究が進んだことで、その理由がわかってきました。オホーツク文化人が圧倒的な比率でYを持っていたのです。またオホーツク人にはGというタイプが非常に多い。ですからアイヌの人々の特徴とされているYやGのタイプは、かなりの部分がオホーツク文化の人々が持っていたDNAでないかと推察しています。もしくは、私たちが考えている縄文は今から3千年以上前ですから、3千年前からオホーツク文化が始まるまでの間の1千500年間ぐらいの間にも少しずつ入っていたのかもしれませんが、北からの遺伝子が相当入ってきているだろうと考えられるのです。そうした遺伝子交流のなかから近世のアイヌが成立して、現代のアイヌの人々につながっていることが見えてきます。(篠田、pp. 42-43)

A14:

文化人類学者の篠田氏が北海道の縄文人の末裔とオホーツク文化の人々の間の「遺伝子交流」として説明した文章を、的場氏が、縄文人がオホーツク文化の人々と入れ替わったと曲解し、さらに小野寺氏がそれを「一般的な最近の学説」として発言した。明らかな間違い。