Q25:明治以前の蝦夷地統治とは?

日本会議北海道本部の質問2

「明治政府が北海道を日本の領土に入れ」とあるが、貴職の考える領土とは何か。また、これ以前、北海道は何処に属していたのか。豊臣秀吉や徳川家康が蠣崎氏に蝦夷地統治を許容し、江戸幕府による北方警備や直轄統治、松前藩の蝦夷地における権限拡充という歴史的事実に照らして回答されたい。

『隣交始末物語』(雨森芳洲、18世紀初頭)

大凡日本の内にて外国に接する国、西方にては長崎・薩州・対州。東方にては松前也。琉球は薩州の属国、蝦夷は辺僻の小醜、長崎へ来る唐人は商賣の輩のみなれは、いつれもふかくおそるるにたらさるの地にあらすや。

『露西亜人取扱手留』(松平定信、18世紀末)

ネムロに御下知をまつといふは、日本地にあらざれば追い払ふべきこともなき

A25:

江戸時代の基本的認識は、幕府の統治が及ぶのは松前藩までであり、蝦夷地は外国であるというものであった。

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Q24:先住民族であることを誰が決めるべきなのですか?

日本会議北海道本部の見解

回答書は、国会決議、官房長官談話等を根拠にしました。しかし、この問題は人類学や考古学等の研究成果として結論付けられるべきものです。国会議員が判断できるはずもなく、その意味で、それを根拠とする回答が的外れであることは誰の目にも明らかでしょう。

公開質問状に対する北海道知事の回答

先ず、アイヌ民族が日本の先住民族であることにつきましては、平成20年6月6日の国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択され、これを踏まえた内閣官房長官談話において「政府としても、アイヌの人々が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識」が示されています。

参議院のあらまし:本会議決議

一般的には、議院が行う決議は法的効果を有しませんが、前述の内閣不信任・信任決議や、常任委員長解任決議(国会法第30条の2)のように法的効果を伴うものもあります。しかし、法的効果を有しないとはいえ、国権の最高機関たる国会を構成する参議院又は衆議院が行った決議の重みを考慮すれば、政治的効果や道義的効果が生ずるといえます。例えば、政策的決議は、国会による行政監視機能の一態様として内閣にその遵守を求めるものであり、内閣は行政権の行使について国会に連帯して責任を負っていることから、政治的道義的な効果を有しているものと解されています。

先住民族の権利に関する国際連合宣言

第 3 条 【自己決定権】 先住民族は、自己決定の権利を有する。この権利に基づき、先住民族は、自ら の政治的地位を自由に決定し、ならびにその経済的、社会的および文化的発展 を自由に追求する。

日本国憲法

第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第四十一条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

第169回国会 衆議院会議録第37号

これまで、一国一民族一言語という誤った認識を多くの国民が持っておりましたが、この認識が、本日の決議により、歴史的英断をおって改められますことは大変意義不快ことであります。(2008/6/6 笹川堯衆議院議員)

A24:

先住民族は自己決定権を持つので,これが尊重されなければならない。それを政策として具体化する上で,国民の名のもとに、アイヌ民族が先住民族である旨が宣言された。国会(立法)、政府(行政)、裁判所(司法)の三権の中で、国会が国権の最高機関であることから,行政はこの国会決議をもとに現行法を解釈して運用するよう努力することが求められる。

Q23: アイヌ人と日本人は縄文人の子孫か?

日本会議北海道本部の見解

なお、三貫地遺跡(福島県)の人骨DNA分析の結果、アイヌ人は我々日本人と同様に縄文人の子孫であることが明らかになっております。

【プレスリリース】『縄文人の核ゲノム配列をはじめて決定 〜東ユーラシア人の中で最初に分岐したのは縄文人だった〜』

三貫地縄文人のゲノム塩基配列を現代人のゲノムデータと主成分分析法*を用いて比較したところ、大きくアフリカ人、西ユーラシア人、東ユーラシア人にわかれるなかで、三貫地縄文人は東ユーラシア人にもっとも近く位置しました。そこで、三貫地縄文人と東ユーラシア人だけで比較したところ、図1のようになりました。ヤマト人(東京周辺に居住している日本人)が三貫地縄文人と北京周辺の中国人にはさまれた位置にあり、ヤマト人はこれら2集団のあいだの混血であることが示唆されます。

つぎに三貫地縄文人のゲノム塩基配列を東ユーラシアのさまざまな人類集団の全ゲノムSNPデータと比較したところ、ここでもヤマト人は、縄文人と東アジア北方の集団との中間に位置していました。さらに、日本列島3集団および北京の中国人と比較した場合、第1主成分(全体の遺伝的多様性をもっとも大きく示す軸)では、三貫地縄文人はアイヌ人ともっと近く、そのあとはオキナワ人、ヤマト人、中国人(北京在住者)の順となります。一方第2主成分(全体の遺伝的多様性を二番目に大きく示す軸であり、第1主成分とは数学的に独立)でみると、三貫地縄文人はむしろオキナワ人やヤマト人に近くなっています。これは、アイヌ人がもっとも縄文人のゲノムを多く持っているが、おそらく北方人類集団との混血を経ており、オキナワ人はアイヌ人より縄文人のゲノムを少なく持っており、ヤマト人はさらに少ない割合だが、縄文人のゲノムがそれなりに伝わっていると推定したわれわれの以前の研究(論文2,論文3)と一致しています。

A23:

縄文人は日本人の祖先の一つではあるが、現在の日本人は縄文人と東アジア北方の集団(中国など)との混血である。一方、アイヌ人は縄文人と北方人類集団との混血である。したがって、縄文人を共通の祖先としてそこから分岐したと考えるだけでは不十分である。

日本会議北海道本部による公開質問状

2016年5月28日付で、日本会議北海道本部は北海道博物館および北海道知事宛てに公開質問状を提出した。この公開質問状に対する北海道知事名の回答を受けて、以下のサイトを公開している。

えっ!明治以前の北海道って日本じゃなかったの?

とくに注目する必要があるのは、回答に対して「対策委員会の見解」と題して表明された歴史修正主義的ないびつな北海道史である。

質問1

人類が日本列島に生活したのは4万年前、日本人がDNAを受け継いでいる縄文人は、1万3千年前からとされています(国立東京博物館)。
このような中で「日本の先住民族」とはどのような人たちを指すのか。「先住民族」の定義と共にアイヌがそれに相当する理由を、(自然・歴史・文化に関する総合的研究博物館)を謳う同館の使命という観点から説明されたい。

対策委員会の見解1

そもそもこの解説は正しいのでしょうか? アイヌ人は日本の先住民族なのでしょうか?
回答書は、国会決議、官房長官談話等を根拠にしました。しかし、この問題は人類学や考古学等の研究成果として結論付けられるべきものです。国会議員が判断できるはずもなく、その意味で、それを根拠とする回答が的外れであることは誰の目にも明らかでしょう。
回答書は、その内容によって図らずもアイヌ人が日本の先住民族ではないことを吐露してしまった訳ですが、少なくとも、アイヌの先住民族性に学術論争や異説がある以上、両論併記して展示することが、公立博物館運営の基本でなければなりません。
なお、三貫地遺跡(福島県)の人骨DNA分析の結果、アイヌ人は我々日本人と同様に縄文人の子孫であることが明らかになっております。

質問2

「明治政府が北海道を日本の領土に入れ」とあるが、貴職の考える領土とは何か。また、これ以前、北海道は何処に属していたのか。豊臣秀吉や徳川家康が蠣崎氏に蝦夷地統治を許容し、江戸幕府による北方警備や直轄統治、松前藩の蝦夷地における権限拡充という歴史的事実に照らして回答されたい。

対策委員会の見解2

 これもまた、摩訶不思議な解説です。国際法が未成熟な時代、領海・領土概念が希薄であった実情を否定するものではありません。しかしながら、私たちの良識に照らし、真っ当な歴史認識として、この解説に同意する人はほとんどいないでしょう。同館には多数の学芸員が在籍しますが、解説担当者は、どうやら「明治以前の北海道は日本ではなかった」と言いたいようです。ならば、どこに帰属し誰の土地であったのか…。アイヌ展示コーナーという条件下でこの文意をひも解けば、”北海道はアイヌのものであった”。それが論理的帰結であり、また展示側の真意ということでありましょう。
回答書は、当時の北海道が日本の諸藩と異なる位置づけだった経緯やアイヌ社会の一定の自立性、明治以降近代国家に組み込まれた等の理由を挙げておりますが、「日本の領土に入れ」との国語的意味や語感に照らし、いずれも後知恵による詭弁を弄する類と言わなければなりません。
北海道自身が編んだ「北海道史」には「日本書紀に蝦夷の記述があること」「律令時代には管轄も明示されていたこと」が記されていることも、あえて付言しておきたいと思います。

質問3

 和人との混住は、アイヌにとって〝打撃〟であり〝苦しみ〟であったことが強調された展示になっている。和人がもたらした文明の恩恵は、アイヌも同じ日本人として等しく享受してきたはずであるが、負の側面のみを強調する意図は何か。
また、アイヌ文化の一例であるイオマンテ(熊の生贄)、ワナによる動物捕獲等の禁止については、自然保護や動物との共生、また幼女(女性)に対する入墨禁止については女性の人権、健康という各観点を踏まえて回答されたい。

対策委員会の見解3

アイヌ展示コーナーとはいえ、この解説はあまりに一方的というほかありません。同じ解説は館内展示「1-4 蝦夷地から北海道へ」「2-4歩みをたどる」でも繰り返され、ガイドブック(2015年初版)では、同じ内容または要旨を同じくする記述が、16頁、17頁、18頁、23頁で重ねて展開されます。正に、インディアンを滅ぼしたアメリカ西部開拓史を彷彿させますが、さて、この北海道で本当にそのような歴史事実があったのでしょうか?

アイヌとインディアンの境遇を同一視できるわけもなく、小さな小競り合いを除き、日本(ないし日本人)が国家(ないし総体意思)としてアイヌ人を虐殺し、搾取したなどの歴史事実はまったく存在しません。
公開質問では、アイヌを被害者とするなど負の側面のみを強調する意図と共に、近代化への過程における文化的接触や衝突~熊の生贄、幼女の入墨等の禁止~等の評価を問いました。回答は「アイヌ民族の…伝統文化の様々な要素が否定され」とするのみです。近代化がもたらした環境衛生の向上、寿命の伸長、識字率向上等の恩恵には一切触れません。

ならば、私たちは再度問い直さねばなりません。仮に、アイヌのそれら原始的習俗が彼らの伝統文化だとして、近代国家に生きる私たちがなおそれらを許容し尊重すべきなのかと。そして、現代日本人は、アイヌを一方的に加害、抑圧した先人の子孫なのかと…。  答えはあまりにも明白でありましょう。

この「見解」について、検証していくことにする。